自分を構成しているものがわかり、整理してみることができたら、次は具体的にどのようなところからスタイルを引き出していくかということを考えていく。糸口となるのは次の三つの側面である。(1)内面、(2)外見、(3)将来の展望及び願望、この三つがバランスよく装いに反映しているとき、人はその人らしく、美しく見える。まず1の「内面」。自分の育った背景や、能力、可能性、そして「ものごとの考え方」や思想といったもの、さらに性格について書き出してみる。私の場合は、「スタイル誕生」の冒頭で述べたように約十項目あった。次に2の「外見」。内面を反映させるといっても、どんなものでも一〇〇パーセント似合ってしまう人などいない。そこにはおのずと制約がある。顔だちやプロポーションのことを正確に客観的に知るのは怖いし、つらい。できれば見ないでやり過ごしたいところである。しかしここをしっかりと見据えていかなくては、スタイルをみつけることはできないのである。あきらめなくてはならないもの、好きでも似合わないものもある。自分をよりよくプレゼンテーションするためには、自分を一つの「デザイン」として突き放して考えることが必要だろう。私自身、この点では数多くの失敗をしてきた。体型的に無理があるのに、どうしても着たいと思って買った服は数知れない。結局、そういう服はあまり着ることのないまま終わってしまった。ないものねだりをしても無駄であるということも、長年の経験で思い知らされた。私の憧れるのは少年のような、たとえばジェーン・バーキンのような女である。ノブラの洗濯板のような胸で洗い晒したTシャツを着たい……。それさえできれば、ほかに服なんかいらないのに、とまで思っていた若かりし頃もあった。胸がない女の子はそれを堂々と悩みとして語れるが、胸のあることの悩みは世間では認知されていない。私は体型に反して性格は男っぽく骨太なタイプなので、外見に惹かれてくる男性には、いつも拒絶反応しか起こらなかった。反対に、内面と相性がいいだろうなと思う人には好かれない。内面を見て好きになってくれる人はいないのかと悩んだ。体型と内面のキャラクターとの大きなギャップは、思春期にはかなりつらかった。今でも私は華奢な人に、そして、そういう人に似合うものに憧れの気持ちを持っている。パッと見たとき「ああ、いいなあ」と思うのはたいていそんなものだ。しかしそれを手に取り、着ることはない。「Tシャツの似合うスキニーな女」というイメージは自分のものではないのだから。借りもののイメージをいくら持っていても魅力的にはなれない。ただ、どこかに繊細さのあるものをコーディネイトの一部に加えることで、華奢への憧れを満たすこともある。アンティークのペンダントや時計などはそんな私の気持ちや内面を語ってくれるもののひとつだ。内面と外見とはそうそう一致しない。だからこそ、内面をきれいに反映させつつ、かつ体型や顔だち、全身の雰囲気を生かすファッションにたどり着くことがスタイル探しの意味でもある。