昭和三四年春、皇太子ご成婚の年、日本の化粧品業界は大きな変革の年となった。マックスファクターがアメリカからマーケティング的活動理念を日本に導入し、「ローマン・ピンク」の口紅の発売に際してマスコミを利用して展開した「銅像さえもよみがえるローマン・ピンク」は衝撃的なデビュー・キャンペーンであった。当時マーケティングという言葉自体が日本に紹介されてからまだ数年しか経過しておらず、一般的に定着していない時代であったが、マックスファクターはアメリカナイズされ洗練された「ローマン・ピンク」のポスターで、産業界にマーケティングの必要性を強烈にアピールした。このキャンペーンは、ミス・ユニバースの世界大会でアジア人で初めて世界一の栄冠を射止めた児島明子を起用して話題を呼んだ。この偉業は、日本の女性を全世界にアピールする意味で衝撃的であり、マックスファクターは児島明子のミス・ユニバースの栄誉を讃えて「アキコ口紅」を記念発売したほどであった。児島明子は日本でミス・ユニバースに選出された時に、桃谷順天館が広告モデルで起用していたが、アメリカのロングビーチで行われた世界大会で世界一の栄誉を獲得した時点で、その後の一年間の広告モデルや活動の権利は自動的にオフィシャルスポンサーであったマックスファクターに移ることとなり、桃谷順天館との間でトラブルが発生、その状況は当時の週刊朝日や読売新聞、邦光史郎の企業小説にも取り上げられた。キャンペーンの展開は、高島屋、東洋レーヨン(現在の東レ)、旭化成、内外織物などと共同で実施し、業界の垣根を越えてタイアップした巨大プロジェクトという意味からコソビナートーキャンペーンと呼ばれ、化粧品業界のみならず日本で最初の試みとして注目をあびた。ちなみに、コソビナートーキャンペーンの名付け親は東レの伊島光男氏(前函館大学教授)で、コンビナートとはロシア語で「統合」という意味を示し、当時高度成長下で林立する工場群のことをさしていた。
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